言葉にできない何かを求めて

私のためにホットミルクを作って頂戴

言葉にできない何かを求めて

心のなかでもやもやしている時って何気なく過ごしていてもその「もやもやしてるもの」と関連する出来事に出会うとはっとなるんですよね。

確かこのことを心理学用語でなんたらって言った気がする。真面目に授業受けてなかったから覚えてない。

 

すごいいきなりですが、世の中では「死は隣り合わせ」っていうじゃないですか。けど、死っていうのは隣にいるんじゃなくて常にわたしたちの後ろにいるんだと思うんです。

隣にいるとするならば、少し顔を横に向ければ視界に入るじゃないですか。「うげ、またお前かよ」って。けど、死ってそこまで身近なものだという意識は私にはありません。

むしろ私のまわりにいる家族、友人が「あ、あそこに。」と指をさして私が振り返って「あ、お前か」となるのが死なんだと思います。

ここ数年親戚がなくなることが何度があって、いつも着ている制服が線香臭くなりつつなんだが不思議な気分になったり、ちょっと大きめの母の喪服を借りて涙を流したりしました。

そういう時に必ずといっていいほど「よう、お前元気か?俺の事覚えてるか?」って片手をあげて私にニヒルな笑いを投げてかけてくるのです。

ぞくりとしますが、でもちゃんと向き合わないといけないんだよね。いつか私も彼に呼ばれる日がくるわけだし。

正直に言うと、私はまだ死にたくないので親戚がなくなった日やお通夜の日は夜が怖くて怖くて電気をつけて明るいまま寝るのです。私も一緒に連れていかれちゃうのかなって根拠のない気持ちが溢れ出るのです。 

 

なんだかよくわからない内容になったし、どこの池沼だよっていうくらい謎な日記ですが、とりあえずいいたいのはいつ肩を叩かれてもおかしくないってこと。

それは私自身の肩かもしれない、あるいは私が大切に思っている人の肩なのかもしれない。